Yoimaka story
くにとみ
ヨイマカ物語

■ヨイマカ物語
 「祭り名物ヨイマカミコシ、歌舞伎人形のあでやかさ」
 祭り唄は昔から人々の心をなごませ、また、幼い日の思い出にひたらせるとともに故郷を離れた人たちにやさしい郷愁をかきたてさせる。
 江戸時代の中期、天領であった本庄は、自由で豊かな産地に恵まれ、しかも船便が容易に利用できたので、数々の交易商人が生まれた。なかでも和泉(いずみ)屋は、千石舟を繰り出し、当時、経済・文化の中心地だった京や大阪から品物とともに、進んだ文化を取り入れた。
 本庄稲荷神社・夏祭りの主役「よいまか」もその一つで、堺市の百舌(もず)八幡の「フトン太鼓」に魅せられ、これを単純素朴な形に構成したものである。
 しかし、太鼓のリズムや稚子(ちご)・若衆の身なり、掛け声、祭り唄などは、六日町独特のものである。
 ヨイマカは御輿(みこし)のお供で、終始、神幸行列につき従う。初日は先導、つまり露払いが役目で、少しでも早く御輿を六日町へ持ってこようとする。これは、商売繁盛などを願う住民たちが、神様に少しでも長く六日町に留まってもらいたくてそうするもので、昔は、夜明けを待たずに稲荷の社(やしろ)から一気に運んだということである。
 翌日、お帰りの御輿をさえぎるヨイマカは、一見無謀なふるまいのように見えるが、これも神様を返したくないと願う住民たちが、別れを惜しんで行う昔ながらの素朴な表現なのである。
 「私いなせな天領育ち(サッサー)祭り太鼓にあの血が騒ぐ・・・」  若衆、稚子、ヨイマカが一体となり、勇壮なメロディーに合わせて繰り広げる肝を冷やす妙技は、長い伝統に支えられた素晴らしい郷土芸能である。

町広報紙連載 柄本 章氏「国富の歴史」より



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