伝説の古代史へ今・・・ 
第一章 イベント情報 伝説・ロマンが今、蘇る
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第一節 師走祭り

壮大な迎え火   迎え火
   師走祭りは二泊三日の行程で行われ、比木を出発した18名の神幸の一行が金ヶ浜で禊(ぎ)の行事の後、伊佐賀神社で出迎えの神門神社の一行と合流、中水流の伊佐賀神社の祭典の後、徒歩で本村に入り、父禎嘉王の墓と伝えられる塚の原古墳に到着。ここで名木(なぎ)の氏子に迎えられ、祭典の後、和やかな交歓の場、直会(なおらい)が催されます。
 土手、田の畦はすべて火がつけられて、神幸は神門へ続く。この火の饗宴は、故事によれば王を護った火と煙の再現であると言われています。

禊(ぎ)の行事    禊
   神門神社の森の見える約200メートル手前の観音淵にて行われます。昔、衣類が濡れたという伝説により、衣淵とも呼ばれます。

オサラバー オサラバー   下りまし
   第3日目、神門を出発して比木へ還るのを「下りまし」と呼びます。18人の一行が一の鳥居を過ぎ、遠く比木へ去り行く神幸を、炊事道具などを手に持ち高く振って別れを惜しみ、笛の音の物悲しいのが、この師走祭りの圧巻かもしれません。

概要
   この祭りは、旧暦12月、すなわち師走に執行されるので師走祭りと呼ばれています。師走祭りは、本村神門神社と木城町比木神社のニ社合同の祭りで、民俗的にも価値の高い珍しい祭りであるということで、文化庁より「記録作成を構ずべき無形の民俗財」の指定を受けています(平成3年度指定)。

師走祭りの由来
   師走祭りは、百済滅亡後、百済の王族が南郷村と木城町に亡命したという伝説を下敷きにして構成されています。
 いつの時代に始められたのかはまったく分かりません。また、推定することもきわめて困難です。ただ、江戸時代には執行されていたということは確実です。江戸時代には干支際(かんしさい)でした。昭和23年ごろまでは九泊十日をかけた祭りでしたが、昭和23年前後より一部の行程を省略し、二泊三日に短縮されています。

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