伝説の古代史へ今・・・ 第五章 南郷村こぼれ話 伝説・ロマンが今、蘇る
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第三話 旧南郷村と西郷隆盛

〔西郷の本隊到着と岩下での戦い〕
 8月24日早朝西郷村との境の小麦の越の六方ヶ辻に到着した薩軍を若杉戸長は出迎え、前衛隊の中津隊の道案内として先頭に立ち、又江の原の田原弥作宅に西郷隆盛の休憩所を頼んでいる。

 若杉戸長は西郷隆盛と島津家の同輩で鹿児島県出身であり、鬼神野村戸長として赴任してきていたが、西南の役が起こるや、表面は政府軍に従順を装い、内心は薩軍に心を寄せ鬼神野の青年らに頼み、神門の伊久良しヶ原や鬼神野尾迎、田出原でじん野などに、政府軍を防ぐための陣地を構築していた。

 その後、前衛隊は天神田の岩下へ進み、住民の通報を受けた政府軍の神門守備隊との間に銃撃戦を展開、前衛隊の辺見十郎太は決死隊を引き連れ岩下から小丸川を渡り、当時は樹木の茂る伊久良ヶ原に進出、上仮屋の政府軍に接近し急に斬り込んだ。あわてた政府軍は退却したという。この機をとらえ、西郷隆盛は入田へと進んだ。

 なおこの時、急いだ西郷隆盛は田原家に愛用の扇子を置き忘れたが、田原家に大切に保管されていた。現在は久保鶴男宅に保存されているとのことである。


西郷隆盛の置き忘れ扇子

 一方、政府軍を退却させた前衛隊は、本隊と併行して川上迫へと進んだ。折から台風の近づく知らせか大雨となり、金丸九右衛門宅に西郷隆盛らは雨やどりしている。
 なお一時は退却した政府軍は、田代より援軍を求め、陣を立て直して薩軍に接近したが急に風雨が激しくなり、大雨のため戦闘が一時中止され、政府軍は神門へ引き揚げている。
 豪雨のため対陣すること約4時間、雨にぬれた薩軍の服装は哀れであったというが、深傷の兵は包帯所に当てられた万鷲寺へ、元気な者は小丸川沿いに尾迎に到着、戸長の配慮で9軒あった下田家に仮泊、西郷隆盛と幹部は下田民弥宅に仮泊した。それは24日夕刻のことである。

 その夜、尾迎で夕食をすませた薩軍は、折からの台風の中であったが、政府軍の追撃をさけるため、戸長の計らいで準備してあった兵糧をもって、翌25日早朝午前4時、渡川に向かって出発した。その後、米良、小林方面を経て9月1日ようやく鹿児島に入った。

 西南の役は9月24日、鹿児島の城山での西郷隆盛の死によって終結するが、薩軍の世話をしたとされる若杉戸長は政府軍から取り調べを受け、すべて1人で責任を負い、長崎の臨時裁判所で死刑の判決を受けた後、東京に連行されたという。



第二話 西南の役と南郷村へ

第四話 こぼれ話(其の一へ)

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