伝説の古代史へ今・・・ 第五章 南郷村こぼれ話 伝説・ロマンが今、蘇る
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第五話 こぼればなし(其のニ)

鬼神野川上迫の戦い
 一方、政府軍を退却させた辺見隊は隆盛隊と平行に小田の原から川上迫へ、隆盛隊は川上迫中央線の間道を進み「いでめ」に到着した頃、政府軍伊久良が原進撃したとの報に接し、隆盛本隊は西の谷を急いで渡り金丸理八氏の要請により隆盛を依託した。
 今度は桐野隊が後備隊となり西の谷に沿って散開政府軍の追撃を待ち、辺見隊は隆盛の護衛となり、金丸氏宅付近に戦闘開始がいつでも出来るよう準備して対陣した。
 一応神門本村に退却した政府軍は田代より援軍を求め、小田の原に迫り小隊毎に散開しながら西の谷に接近した頃、谷間から急に発砲した薩軍に驚き一時退却し、一部は小丸川付近に一部は山沿いに陣営の立て直しをしたが、急に真黒な雲が空を覆うたかと思うと大粒の雨が降り出し戦闘の出来ない状態となった。この有様を見た中隊長の松浦少佐は元隆盛元師の部下でもあったが、更に天皇より「西郷を見たら打つな」との命令もあったので、そのまま神門方面に退却した。その時いでめ橋付近に陣取っていた薩兵は政府軍の退却を見ていきなり飛び出して斬りかかったので2人はその場で斬り殺された。(古老の話・可愛の夕風)


金丸理八宅の待遇と萬鷲寺
 脚説、金丸氏宅に入った隆盛は、床の間の柱によりかかりじっと腕を組み合わせ物思いに考え込んでいたが、当家の娘オクスの優しい姿ににっこり笑みを浮かべたそうである。然し娘は巨大な手指の甲に真っ黒い髭を見て危うく湯飲みが転げそうになったが、気を取り直して丁寧にお茶を差し上げた。
 その間、対陣すること4時間、しけ模様の豪雨の中で両軍とも退却したが、その時の薩軍の服装は表現出来ない憐れなものであったという。そうして深傷の者は池田の渡り瀬を通って萬鷲寺の包帯所へ、隆盛とその薩軍は小丸川沿いへ馬飛ばせ道幅2m長さ約500m、を早足で進み元欄干を渡って尾迎にに着いた。
 一方包帯所の看護手当に前田光藏と前田ムラ兄妹がその任にあたった。切り傷の布切れを取ると蛆虫がわくわくとしており、顔を背ける程であったが気性の強い兄妹は、その蛆虫を取り除き焼酎で消毒して包帯を替えたそうである。(古老の話)

 尾迎に到着し疲れ切った薩軍に若杉戸長は予想もしない農家の牛を買い、栄養補給だと言ってそれを殺して薩軍に牛の肉を食わせたそうである。
 その前日8月23日、政府軍の特別任務を受けた、後の日本初代陸軍医総監になった石坂篤保(熊本県出身)陸軍々医訪討使である福岡県出身三沢元雄2人が萬鷲寺に来て臨時看護卒を徴募したが思うようにならず、24日午前中5名程度の応募を終えて寺に帰り、昼寝をしていると負傷兵を連れた薩軍が進入して来たのである。その時、政府軍の服を着用した兵士がいるので薩軍は抜刀して部屋に斬り込んだ。2人はびっくりして裏山の鷺の巣峠へと逃げ込んだ。
 空腹を我慢し、夜になって下山したが、道に迷い民家を探している中に薩軍の哨兵に捕まった。
 当時、状況については山下郁夫氏外数冊の著書にあるので省略する。
 石坂氏の反省録に薩軍に殺されるかと思ったが軍医だったので丁寧に取り扱い、そうして空腹を察知して牛肉と飯を食わせ西郷に面会させた。
 下田民弥宅の奥の間には西郷始め数十名の薩軍の幹部がいて、西郷一人は紺の縞の単衣に白縮緬の兵児帯の姿で隆盛は丁寧に石坂に対し「負傷者を治療してくれないか」と頼み石坂は了承した。(「西郷臨末記」・古老の話)


西郷軍の惜別と渡川越え
 8月24日午後7時頃、全員夕食をすませ、仮眠のため宿泊したが武器の手入れ、衣類の修理等で時間を費やし、その間陣営の見張り、特に民弥宅の警戒厳重、仮眠も交代で充分熟睡出来なかったと思うが、石坂軍医を捕まえて隆盛と面会を機会に全員夜食を取らせ、既に準備してあった米一升、梅干し、朝漬けを各人に持たせ尾迎を出発したのが「ウシミツ」頃であったとの事だから現在の午前2時であろうと想像する。
 この時、西郷隆盛は鬼神野戸長若杉信任に形身として小刀を渡し、別れのあいさつ、生い立ちから今日までの生活、今又生死の境遇にある2人の惜別、その情にうたれ見送る村人、共に出発する薩軍兵士等2人の心を察しもらい泣き、涙を流したとのことである。(形身の刀は筆者岩原勗氏の祖父母に預けたが後日大正12年詐欺に遭い今は無し)又、萬鷲寺療養中の負傷兵は敗退したとの話しを聞き親にすがる赤子のように泣き悲しむ者、残念がってわめく者、実に哀れであったという。
 出発の際は鬼神野の若者2人が隆盛を駕籠に乗せて、東の空が明るくなった頃、茶屋峠についた。
 そこからは当時神門から銀鏡の間を荷物運びしていた渡川平城平田久助氏友一人がきており、渡川から米良までの道案内と駕籠をかついで行ったが、若者も平田氏も西郷の姿は見る事は出来なかったそうである。
 明けくれば8月25日、陣容を整えた政府軍は軍旗を先頭に堂々と薩軍掃討のため神門より進撃して来た。
 この時の政府軍の状況を大山シカ氏(大山進氏母)は次のように語っておられた。
「あの時の鎮台さん(政府軍)の姿にはほれぼれした。まるで人形を切り揃えたように赤い筋のある帽子に黒ズボン、金色のボタンの着いた軍服、白いケハンに銃をかついでいた。それに引き替え西郷どんの家来は服装はまちまちでそろっておらず、顔はヒゲだらけで、あれでは賦軍(山に住む人の意)と言われても仕方あるまい」と言われていたそうである。(古老の話)



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