観音像紹介
 
太岳石苗和尚
観音像
観音滝(かんのんだき)の三十三観音

江戸時代後期・安政5年3月から翌6年10月までの銘文が台石にみえる。

作者は、当時同地区上野原にあった金鐘庵の住職石苗(せきみょう)和尚で二十一体、その弟子石叟(せきそう)和尚で四体、合作一体を数え、台石のみ一箇と昭和六年立て替えの四体がある。

石苗和尚、数年来の足の病を直さんとて発願し三十三体の観音像を彫った、とも伝えられるが、安政年間は江戸幕末の動乱期、田代大雄寺の住職でもあった石苗和尚の、動揺する衆生斉度の発願じゃあるまいか・・・。

太岳石苗和尚....西郷村大字田代の山澤義治家の祖先である。
観音像

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