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稚児ざくら


 慶長四年(1599)都城領主伊集院忠真(いじゅういんただざね)と鹿児島宗家島津忠恒との内紛「庄内の乱」の時、安永城を攻める島津軍と迎え撃つ伊集院軍とがこの辺りで大激戦を展開しました。
 島津軍の若武者富山次十郎は華々しく戦場を馳駆していましたが敢え無くも敵弾に倒れました。年僅かに十六歳の美少年でした。彼の亡きがらは敵味方から惜しまれながらここに葬られましたが、ここを通りかかった島津軍の武将新納忠元(にいろただもと)はその死を悼み「昨日まで誰が手枕に乱れけん 蓬がもとにかかる黒髪」と和歌を寄せました。
 当時、供養の為に植えられたという桜の木は300年来爛漫と咲き匂い当時を偲ばせてくれましたが、昭和四十八年老齢の為枯死し、現在は二代目桜が元気に育っています。いつの頃からか、ここを稚児ざくらと言うようになりました。

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荘内商工会, 1999, 2001