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三島通り



三島通庸公
 明治二年、都城地頭として赴任した三島通庸(みしまみちつね)は庄内の地頭仮屋を役館として、新しい施策を展開しますが、特に「庄内の町づくり」には力を傾注し、思い切った移民政策により士族320戸を一挙に入植させその原動力としました。これに先立ち、都城や鹿児島から60戸の商人を移住させ商店街を造成し物資の供給に当たらせましたがこの商店街を三島通りと言います。
 当時、現在の庄内バス停留所付近から願心寺付近までの通りには三軒長屋の商店が軒を連ね、村内は勿論近郷近在からも買い物客が集まり活気を呈したと言います。

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荘内商工会, 1999, 2001