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安永城跡 市指定文化財



▲本丸跡、現在は庄内児童公園
 争乱打ち続く応仁二年(1468)都城領主第六代北郷敏久(ほんごうとしひさ)が都之城の北の守りの拠点として安永城を築城しました。一名鶴翼(つるばね)城とも言われ本丸、二之丸、金石(かねいし)、取添と大きく四つの曲輪(くるわ)によって構成されています。すでに一部は破壊が進んでますが南九州型群廓式山城としてほぼ原形を留めるかけがえのない貴重な遺構と言われています。
 当時は城を囲むように麓と呼ばれる通りに武士の屋敷があったと推考されますが、敏久は人々の生活の便を図るため領内で始めて商人の「町」を造りました。今に元町馬場と言う地名が残っています。
 天正七年第十代領主北郷時久(ほんごうときひさ)の嫡男相久(すけひさ)が父にうとまれて悲憤の自刃をしたのが、ここ金石城です。
 また都城が一時伊集院領であった慶長四年(1599)「庄内の乱」が勃発します。その時この城の謀将白石永仙が寄せ手の島津軍を散々悩ませた事は有名な史実です。元和声年(1615)徳川幕府の一国一城令に因り安永城も廃城になりましたが、その後は城麓の地頭仮屋で引き続き北郷氏が安永の治世に当たりました。
 いま本丸跡は公園化され市民の憩いの場所になっています。

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荘内商工会, 1999, 2001