高城町商工会 高城伝統史跡観光
歴史とロマンのまち TAKAJO
髪長媛伝説
髪長媛伝説

 遙か遠い昔、日向・高城の地にそれはそれは美しい姫君がおられました。その名は「髪長媛」。
 当時、この地を治めていた豪族大夷持命(おおはなもちのみこと)の妹です。
 姫の髪は、その名のとおり、豊かで美しく、まるで春の海のように優しくおだやかだったといわれています。この髪と恥じらいを含んだ微笑みで、髪長媛は、高城の民をすっかり魅了してしまったのです。その名声は、日向にとどまることなく、人から人へ、村から村へと伝えられ、ついには都にまで届いたのです。姫のうわさは、天皇の耳にまで入り、髪長媛は都に召されることになりました。

 長い長い旅を終え、髪長媛がやっとの思いで今の大阪港、難波津の港に着いた時、出迎えたのは、天皇の第四皇子である大雀皇子(おおささぎのおうじ)という方でした。これが、まさに運命の出会い。のちに仁徳天皇になられる容姿秀麗な青年は、姫の姿をひと目見て、「吾に賜はしめよ」と願いでたといわれています。二人はすぐに結ばれ、髪長媛は、一男、一女の母になったということです。

 これが、髪長媛の伝説。古事記や日本書紀にも残る物語です。髪長媛というその美しい名前、都まで届いた名声、そして、運命の赤い糸で結ばれていた二人の出会い。それが「古代とロマンの里・高城」と呼ばれる所以でもあります。


石山観音寺

 日向七観音に数えられた古寺。伝日羅上人作という十一面観音像を本尊としていたが、明治初年の廃仏によって失われ、明治13年の復興後、子安観音像を本尊とし、安産祈願の観音として近隣遠郊の参拝者を集めている。昭和58年9月老朽の御堂が八角堂に再建された。


歴代先師の墓

 日羅上人の開祖で本尊は観世音菩薩である。応永6年(1399)のころ、遠州浜松当厳寺の住職実庵禅師が本堂を建立し再興したもので大樹にかこまれた静寂な山中にあり安産子育て観音として名高く遠方からの参詣者も多い。


田辺かくれ念仏洞

 浄土真宗がこの地に伝えられ400有余年、今ではこの地方の信仰の中心となっているが島津藩政時代は一向宗の禁制により過酷な弾圧をうけその苦難にたえてきた。このような逆境の中で熱心な信者は役人の目を逃れこの洞穴で念仏をとなえたのである。


牧ノ原古墳群

 13基あり3基が前方後円墳で他は円墳で畑の中に点在している。西暦5世紀ごろからこの一帯は開け、仁徳天皇の妃になった髪長媛の兄、水俣連の大夷持命がこの地に住んだともいわれる。これらの古墳はそのころの豪族によって六世紀から七世紀にかけて築かれたものと伝えられる。


穂満坊・諏訪神社のあげ馬

 あげ馬は、1592年豊臣秀吉の朝鮮出兵で武功を建てた島津の殿様(義弘)が凱旋後出陣前に戦勝祈願した諏訪神社に、馬と神楽を奉納したときの行列を模擬した祭礼。一種の野外劇とも言われる。その後、農民たちが豊作を願う祭礼として、毎年7月27日に盛大に行われていた。戦後一時途絶えて昭和59年に復活し、その後4年に1回の周期で奉納されており、平成9年7月27日に行われた。


あげ馬(桜木・南方神社)

 桜木の南方神社に伝わる「あげ馬」は、7月25日に行われ、由来は、穂満坊と同じ。ここも1982年に復活し、以来4年毎に行われ、平成10年に行われた。


観光
観音池公園  高城のシンボルとも言える「観音池公園」は、県内有数の桜の名所です。四季を通じて、色とりどりな花が咲き乱れ、隣接してゴルフ場もあり、県内外からの多くの行楽客で賑わっています。

 大観覧車・ゴーカートで遊ぶ子ども達の笑顔、流水プールで水しぶきをあげる親子連れ、バーベーキューにキャンプファイヤーにとアウトドアを楽しむグループとすてきな出会いが待っています。

草スキー場・スーパースライダーなど屋外スポーツを楽しめる「いきいきふれあいランド」、そして公園内には温泉が湧出して平成12年度より健康増進センター「観音さくらの里」がオープンしました。

お問い合わせ先
高城町観光協会
宮崎県都城市高城町穂満坊306 都城市役所高城総合支所 産業振興課内
電話0986-58-2311(代) FAX0986-58-4281

観音池公園管理事務所
電話0986-58-4470

その他にもキャンプ場や郷土資料館なども周辺にございます。
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