日向国
一之宮
都農神社

宮崎県児湯郡都農町大字川北13294番地

都農神社社務所 電話 0983-25-3256


日豊本線の都農駅から一・五キロ、国道十号線沿いに面した広大な森が都農神社である。
国道十号線は町の中央を南北に走り、宮崎市と延岡市を結ぶ急行バスが通っている。
日豊本線に沿って都農駅と東都農駅があるが各駅停車は朝夕の時間に集中しており、日中は急行電車が通過するため列車の便は悪いが、日向高鍋間に普通バスが通って神社の前に停車するのでこれを利用すると便利である。

都農神社の神域は見事な森林に覆われ樹木が茂っている。玉砂利を踏んで社頭までの参道は神厳な状態を保っている。神域を吹く風は身を清らかにする。都農神社由緒によれば神武天皇御東遷の際に、宮崎の宮を御進発になり、途中、都農において祭壇を設け、国土平安海上平穏武運長久神助を祈念したという。この鎮祭されたのを創祀と伝える。

延喜式の日向国には四座でその首位にある児湯郡二座の一座である。あとは都萬神社宮崎郡の江田神社諸懸郡の霧島神社が古社である。祭神は大国主神で知られる大己貴命を祀る。
仁明天皇承和四年(八三七)に宮社に列し、清和天皇の天安二年(八五八)従四位で神社の旧記によれば、住吉は日向国第一の大社として社殿壮大境内広く第三鳥居は十五〜六丁、第二鳥居は六〜七丁の間にわたって建立されていた古跡が認められたという。

天正年間(一五七三〜九二)の大友島津の争乱にあい社殿は兵火にかかり、秘蔵の宝物古文書等を消失してしまった。以来、社殿神域は縮小してしまった。明治四年(一八七一)に国幣小社に列せられた。昭和九年、神武天皇東征二千六百年記念祝典に当り境内の拡張整備を行い、今の深厳なる神域の状態になった。

都農神社祭礼については一月一日歳旦祭「神楽舞初め」を始めとし、二月十七日に祈念祭を行い、八月一、二日には夏祭御神幸祭がある。例大祭は冬祭として十二月四、五日に行われる。神賑行事として都農町総踊り、日向ヒョットコ踊り、大弓四半的、神楽奉納で賑いの内に一年間の祭礼を経る。

-御 由 緒-

都農神社は古来日向国一之宮と称え、御祭神は御神徳の高い、大巳貴命(おおなむちのみこと・又の御名大国主命)を奉斎する古社であります。当社の縁起によれば、神武天皇御東遷の砌、宮崎の宮を御進発になり、途中此の地において、国土平安、海上平穏、武運長久を御祈念の為、御親ら鎮祭されたのを当社の創祀と伝えます。その後歴代皇室の尊崇篤く、第五十四代仁明天皇の承和四年には官社に列せられ、同十年神階の宣授があり、第五十六代清和天皇の天安二年神階従四位上を奉られ、第六十代醍醐天皇の御代、延喜式神名帳には日向国児湯郡都農神社と撰録せられ、日向国式内社の一つとして登載された日向国一之宮であります。
当神社の旧記によれば、往古は日向国第一の大社として社殿壮大、境内広闊で第三鳥居は十五〜六丁、第二鳥居は六〜七丁の間に亘って建立せられた古跡が今なお認められ、天正年間大友、島津両武将の争乱に遭い、社殿兵火に罹り、累生秘蔵の宝物、古文書等鳥有に帰し、以来社殿境域次第に縮少の止むなきに至りました。
明治天皇御践祚に際し、王政復古、百度維新に従って神祇を崇め、祭祀を重んずるの大典を挙げ給う。茲においてか当社は明治四年五月十五日県内他社に先んじて国弊社に列せられたのであります。昭和九年神武天皇御東遷二千六百年記念式典に当たり、記念事業として奉賛会を組織し境内の拡張整備を行ない、概ね現今の深厳なる御社頭の状態を仰ぐに至り、御神威愈々釈然たるを覚ゆる次第であります。

-御 神 徳-

御祭神大巳貴命は国土開発、殖産農耕に特に勲功高くましまし、武神としての霊徳は申すまでもなく、漁業航海守護の神、交通安全守護の神更には医療の神、縁結びの神、子孫繁栄、福徳円満の守護神として古来地方民の信仰をあつめた御社であります。
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