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伝統芸能         

 古くから農業を中心に発展してきた山田町には、その歴史を漂わせる伝統行事が多く伝えられています。薩摩文化の影響を受けながら、霧島の麓で脈々と伝承されてきた山田町の行事や風習には、自然と共にあった人々の暮らしの息吹が残されています。


バラ踊り
 シュロの皮をまとい、タケンバラと言われる竹で作ったバラ太鼓を打ち鳴らしながら踊る熊襲踊り。
 山内地区に伝わるこの踊りは、水神信仰にまつわるものと言われています。

 現在この地区にはある池は、以前はもっと大きく人々の生活を支える大切な水がめだったそうです。水神への祈りや雨乞いの儀式のときに、雷の音に見立てて太鼓を打ち鳴らす風習は、国内外に広く分布していますが、山内地区とこの踊りの関係も先の池との関係がありそうです。
熊襲踊り
相撲甚句踊り
 軍配を手にした行司を先頭に踊り子が右袖から右回りに登場し、その後ろに襦袢の上に長着物を右肩脱ぎにした力士役の踊りが続きます。白足袋に赤緒の草履を履き、それぞれがしこ名の入った化粧まわしをつけて三味線・太鼓・拍子木そしてユニークな歌詞に合わせて踊る「相撲甚句踊り」は谷頭地区に伝わるものです。
 駅舎がある谷頭では、かって諸方地方の牛馬のせり市が開かれ九州各地から多くの業者等が集まり大変にぎわいました。当時の繁栄を伝えるものです。
棒踊り
 町内平山地区に伝わるこの踊りは、元来旧薩摩藩に伝わるもので、朝鮮出兵の時、苦戦の末勝利を収め凱旋した際その大勝を記念し、領民皆兵のねらいから棒術を応用して創案し農民に励起したことが起こりだと言われており、それが転じて五穀豊穣と無病息災、悪霊退散を祈念する踊りになっています。
 男性2列に並び、携えた棒を打ち鳴らしながら踊る様は、躍動感にあふれ尚武の国薩摩らしい勇壮さがあります。
棒おどり
俵踊り
俵おどり  町内瀬茅地区に伝わるこの踊りは、昔から同地区にある諏訪神社秋の例大祭のときに五穀豊穣、家内安全を祈願して奉納されたと言われています。現在、踊りは女性10名によって踊られ、豊年を祝う秋の取入れを表現したもので、長さ45pの俵を使い、三味線・太鼓・拍子木の囃子に合わせて、踊り子の手から手へ俵を投げ渡しながら次第に中央前面に積み重ねていく。
 俵は五穀豊穣を、リズミカルで力強い動きは勤労の喜びと無病息災・家内安全の純朴な農民の祈りを込めていると考えられています。
奴おどり
 町内竹脇地区に伝わるこの踊りは、名の通り奴のおどけたひょうきんな姿を踊りとしたもので、田の土手を踏みしめながら田植えをする所作で、棒踊りと同じく豊作を祈願する踊りです。奴踊りは別名「手踊り」とも言われ上体を起こしたまま手足で踊る特色があり、極めて躍動的でにぎやかな踊りです。 奴おどり



もぐらうち
 竹脇地区の子ども会に伝わるこの風習は、稲ワラで編んだ棒を持って「もぐらうっがきた。もぐらうっがきた。 −中略− あわんもちゃいーらんど。こーめんもちゅくいやんせ。」と歌いつつ子ども達が家の周りの土地をワラ棒で叩いて回り、家主からたくさんのお菓子などをご褒美としてもらうというものです。
 いわれとしては、「もぐら」が土中を堀り田畑の作物に害を与えたり、家が傾くため、その土地からモグラを追い出し家内安全と無病息災を祈るのが目的とされています。

六月灯
 第19代薩摩藩主・島津久光が鹿児島新照院の観音堂を造立し参拝する際に、多くの灯ろうを寄進したのが六月灯の始まりと言われています。夏祭りの代名詞となっている「ろっがっど」(六月灯)は、夏の約1ヶ月に渡って地区ごとにおこなわれます。
 地区によっては、田植え祭りと一体化するなど、それぞれの歴史や伝承が披露されるこの日、公民館などに集まった人々は、夜遅くまで膝をまじえて語り、飲み、楽しみます。

お問い合わせ
都城市役所 山田総合支所 教育委員会 社会教育課
都城市山田町山田3881番地
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山田町商工会, 1999-2001