西生寺跡

所在地 梅北町

 西生寺は、一説には平重盛が霧島山の東佐野(高原町狭野)に建立したといわれている。その後、尋誉上人(じんよしょうにん)のとき、夢で「三日以内に山に火が起こり寺院も焼けるであろうから、三里以外の地に退け」とのお告げを受け、上人は本尊と鎮守山王社を奉じて梅北のこの地に寺を再建した。

時は仁安二年(1167年)と伝えられる。

本尊の阿弥陀如来(あみだにょらい)像は信州善光寺にあったものといわれ、永仁二年(1295年)の勅額(ちょくがく)を掲げた堂宇は荘厳華麗であったという。

いつの頃か、裏山が崩れ建物や宝物はことごとく埋没したといわれ、その後は、北方に再建され、藩主・領主が厚く信仰したが、明治初年の廃仏毀釈によって廃寺となった。

寺は初め天台宗であったが、後に真言宗に改められている。

寺跡には、当時の優れた数体の石仏をはじめ、多くの石塔類が集められ、保存されている。

→都城市公式HP 掲載ページ