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都城市プレミアム付スマイル商品券発行事業(第3弾)に係る加盟店募集につきまして

都城市では新型コロナウイルス感染症により影響を受けている地域経済活動の回復を図るとともに、市民の家計と地元商店や飲食店等の支援を目的としてプレミアム付き商品券を発行する予定となっております。 これに伴い、商品券を利用出来る店舗を募集することとなりました。 店舗登録の受付は各商工会及び都城商工会議所にて行っています。店舗所在地を管轄する商工会等に添付の登録申請書を記載・提出し、申込みください。店舗登録後、8月頃を目途に店舗登録証明書やポスターを送付致します。 令和4年6月10日までに申込いただいた場合、購入申込時(7月1日~)に配布する「取扱店一覧」に掲載されます。※令和4年6月10日以降も加盟店募集は行っております。 〇商品券の概要について 金額:1セット13,000円分(1,000円券が13枚綴り)を10,000円にて購入(30%のプレミアム)対象者:令和4年6月1日時点で当市の住民基本台帳に記載されている世帯主使用期間:商品券を購入した日から令和5年1月31日まで(販売開始は令和4年9月1日頃を予定) 詳細は都城市のHPをご覧ください。 都城市 公式ページへジャンプ ○問合先 都城市プレミアム付スマイル商品券事務局 TEL : 0986-23-8078
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令和4年度 宮崎県小規模事業者 新事業展開等支援補助金のご案内

令和4年度宮崎県小規模事業者新事業展開等支援補助金の公募が開始されました。 この補助金は県内に主たる事業所を置く小規模事業者が新型コロナウイルス感染症の影響による経営環境の変化に対応するために取り組む新事業展開や販路開拓、経営力強化等に必要な費用の3分の2(補助上限額50万円)を補助するものです。 令和4年5月2日(月)から主たる事業所の所在地を管轄する商工会・商工会議所にて申請書の受付が開始されます。また申請にあたっては、管轄の商工会等へご相談ください。 事業詳細につきましては、下記URL上の資料をご参照ください。 「令和4年度宮崎県小規模事業者新事業展開等支援補助金」の公募開始について 宮崎県商工会連合会 (goope.jp)
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県内事業者緊急支援金のお知らせ

「県内事業者緊急支援金(1~3月影響分)」について令和4年4月4日(月)より申請受付を開始します。 まん延防止等重点措置の適用により、大きな影響を受けた事業者に対し支給される支援金です。 詳細及び申請書類等については宮崎県のホームページにてご確認ください。 宮崎県ホームページ 様式1 申請書 様式2 請求書 【対象事業者】 以下の1~4の要件を全て満たしていることが必要です。 1.開業日・所在地要件  ①次のア~ウのいずれかに該当すること  ア.1月の事業収入の比較により申請する場合、令和3年12月31日までに開業していること  イ.2月の事業収入の比較により申請する場合、令和4年1月31日までに開業していること  ウ.3月の事業収入の比較により申請する場合、令和4年2月28日までに開業していること  ②法人の場合、県内に本店があること  個人事業者の場合、納税地を県内としていること又は県内に主たる事業所があること 2.規模要件  中小企業基本法に定める中小企業者であること(法人・個人は問いません) 3.事業収入要件  次の①及び②のいずれも満たすこと  ①令和4年1月~3月のいずれかの月の事業収入が、基準月(平成31年~令和3年のいずれかの年の同月)と比較して50%以上減少していること ②上記①の基準月の事業収入が10万円以上であること ※その他新規開業特例があります。詳細は県のホームページ等をご覧ください。  4.欠格要件  次の①~④のいずれにも該当しないこと   ①まん延防止等重点措置(令和4年1~3月)における営業時間短縮要請に関する協力金の支給を受けた者  ②国または法人税法別表第1に規定する公共法人  ③政治団体、宗教上の組織若しくは団体  ④暴力団、暴力団員等の反社会的勢力又は反社会的勢力と関係を有する者 【受付期間】 令和4年4月4日(月)~令和4年5月31日(火)※消印有効 【支援金の額・回数】 1事業者あたり10万円 ※支援回数は1回です。1事業者が複数事業所を営む場合も事業者単位の支給となります。 【申請方法】 確定申告書に記載した住所地を所管する商工会または商工会議所に郵送で提出してください。 【問い合わせ先】 県内事業者緊急支援金コールセンター(平日午前9時から午後5時まで)電話番号:0570-550-563
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事業復活支援金のご案内

新型コロナウイルス感染症により、大きな影響を受ける中堅・中小・小規模事業者、フリーランスを含む個人事業主に対して、事業規模に応じた給付金が経済産業省より支給されます。 1 対象者 新型コロナの影響で、2021年11月~2022年3月のいずれかの月の売上高が2018年11月~2021年3月までの間の任意の同じ月の売上高と比較して50%以上又は30%以上50%未満減少した事業者(中堅・中小・小規模事業者、フリーランスを含む個人事業主) 2 給付上限額 売上高減少率 個人 法人(年間売上による) 1億以下 1億 ~ 5億円 5億円~ ▲50%以上 50万円 100万円 150万円 250万円 ▲30% ~ ▲50% 30万円 60万円 90万円 150万円 3 申請期間 1月31日(月)から5月31日(火)まで 4 申請方法 経済産業省の公式ホームページにて電子申請(https://jigyou-fukkatsu.go.jp/) 5 注意事項 ア. 申請前に商工会等の登録確認機関においての事前確認を受ける必要があります。(一時支援金又は月次支援金を既に受給されている方は、事前確認は不要です。) ※事前確認は、中郷商工会員の方を対象に行っております。 イ. 時短要請に応じた協力金を受給する場合には、受給する協力金を対象月の収入(令和3年11月~令和4年3月)に加え、計算する必要があります。 6 その他 必要書類等、詳細については、リーフレットとそれぞれの申請要領をご確認ください。 リーフレット 個人向け要領 法人向け要領
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都城市マイナンバー取得感謝券事業に係る取扱店舗募集について

都城市では、令和4年1月頃よりデジタル社会のインフラとなるマイナンバーカードの普及促進及び市内における地域経済の活性化を図るため、都城市マイナンバーカード取得感謝券の発行を予定しております。 これに伴い、商品券を利用できる取扱店舗を募集しております。 商品券の配布対象者 ①マイナンバーカード取得者で地域通貨(にくPAY)の申込をしなかった市民 ②令和4年1月1日以降に都城市に転入をし、マイナンバーカードを取得している市民 ③令和4年1月以降マイナンバーカードを取得した市民 登録受付期間 令和3年11月1日(月)~令和4年8月31日(随時受付) ※令和3年12月20日(月)までに申請いただいた場合、令和4年1月及び2月に郵送する取得感謝券に同封する「取扱店舗一覧」に掲載されます。(市のホームページに掲載される一覧表は、随時更新されます) 商品券の利用期間 令和4年1月下旬頃から令和4年8月31日まで 登録方法 店舗登録の受付は、各商工会 及び 都城商工会議所にて行っております。 登録には、登録申請書の記載・提出が必要となります。 以下の「登録申請書」に必要事項を記載の上、各受付窓口へ提出ください。※登録手続きが完了後に店舗掲示用のポスター等を配布いたします。 登録申請書 登録にあたりまして、以下の「地域振興券活用マイナンバーカード普及促進事業実施要綱」「地域振興券活用マイナンバーカード普及促進事業取扱店舗事務取扱要項」をご確認の上、お申込ください。 実施要綱 取扱要項 店舗募集チラシ
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都城市地域通貨(にくPAY)給付事業 加盟店募集

都城市が発行する電子地域通貨を個人番号カード(マイナンバーカード)の取得者に対し給付することにより、市内における地域経済の活性化を図るとともに、デジタル社会のインフラとなるマイナンバーカードの普及促進及びキャッシュレス決済の推進を図ります。 これに伴い、地域通貨を利用できる加盟店を募集しています。 【都城市地域通貨(にくPAY)の概要】 マイナンバーカードを取得している都城市民が、スマートフォンに地域通貨アプリ「にくPAY」をインストールマイナポイントアプリ(マイキープラットフォーム)でマイキーID等の設定・にくPAYアプリの選択・自治体マイナポイントの給付申請を行うアプリに7,000円分の地域通貨が付与される市内の加盟店でアプリを使ってQR決済でお買い物ができる 【加盟店登録の受付期間】 令和3年7月上旬 ~ 令和4年1月31日(随時受付) 【加盟店登録の条件について】 市内に事業所を有するインターネットに接続された端末等の準備ができる ※詳細は下記の「事業概要」をご参照ください。 事業概要(PDF) 【加盟店の登録方法】 加盟店の登録受付は商工会にて行います。店舗所在地を管轄する商工会に申請・ご提出ください。登録には、様式第1号・様式第6号・確認書の3通をご提出ください。(下記よりダウンロードできます) 様式第1号(PDF) 様式第6号(PDF) 確認書(PDF)
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都城市プレミアム付スマイル商品券(第2弾)取扱店舗募集について

新型コロナウイルス感染症の感染拡大により影響を受けている地域経済活動の回復を図るとともに、市民の家計と地元商店や飲食店を応援するため、プレミアム付商品券が発行されます。これに伴い、商品券を利用出来る取扱店舗を募集しています。 〇商品券の概要:都城市プレミアム付スマイル商品券(第2弾) 希望する世帯を対象に、30%のプレミアムが付いた商品券が販売されます。 ※1世帯1セット限り(千円券×13枚綴り) 〇登録受付期間:令和3年4月1日 ~ 令和3年8月31日(随時受付) 令和3年4月30日までに申請いただいた場合、商品券販売時に配布する「取り扱い店舗一覧」に掲載予定です。 市のホームページに掲載する一覧表は随時更新されます。 〇登録方法:店舗所在地を管轄する商工会等に申請 登録には”登録申請書”の記載・提出が必要です。 下記の様式をダウンロードの上、ご利用ください。 ※今年度は各店舗向けにメールによる周知広報を行う予定です。 申請書にはできる限りメールアドレスをご記入ください。 各種資料ダウンロード 登録申請様式 (WORD) 登録申請書 (pdf) 記入例 制度概要 取扱要綱 商品券 (第2弾) 見本
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六ヶ城跡

盆地南縁山地の尾根上につくられており、南側が正応寺、北側には萩原川・安久川の合流点と、その先に都城盆地が広がる光景を見ることができます。 →都城市公式HP 掲載ページ
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製茶

小野製茶舗の農園 都城特産お茶の生産地として知られ、金御岳のすそ野に昭和39年、自園自製をモットーに茶屋を営み、村おこしの一環として、ほいろ火仕上げの製法で、銘茶「金御の里」(かねみのさと)を発売。嫁坂の地名にちなんだ「よめとりざか」とともに親しまれています。製茶時には甘い香りがあたり一面に漂います。 小野製茶舗電話・FAX0986-39-1296都城市梅北町9769-1
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大弓

弓道家のニーズに応え、育て上げた弓 昭和12年生まれ昭和33年に入門し、昭和40年に跡を継ぐ。昭和60年宮崎県伝統工芸士平成8年国の伝統工芸士全日本弓道具協会会員 江戸時代から続く伝統を誇る工芸品、都城大弓。地域を代表する地場産業として発展し、平成6年には国の伝統的工芸品の指定を受けました。高い技能を評価され、国の伝統工芸士に6名の弓師が認定されています。 永野重次弓製作所代表者 永野正行(重次)都城市梅北町622-4電話 0986-39-2000 都城弓製造業協同組合都城市梅北町622-4電話0986-39-2000 / FAX0986-39-2000
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とよみつ焼

機械化されたものの多いなかで今、手造りの良さが見なおされてきております。 私共“とよみつ焼”も手造りの陶器の一つ一つに心をこめて今、失われがちな心のぬくもりとやすらぎの心を皆様に、お届けできることを誇りに思っております。 皆様のお越しを心よりお待ちしております。 とよみつ陶苑 伊部 義浩都城市豊満町2480-3電話:0986-39-2139E-Mail:ibe123@ruby.ocn.ne.jp
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らっきょう

中郷は、国内有数のらっきょうの生産地であり、加工された霧島らっきょうは、歯切れ満点、あっさりしたさわやかな味が珍重され、まさにふるさとの味。東京・名古屋・大阪・北海道および九州各地に出荷されています。 宮崎の豊かな自然の中で育まれた特産らっきょうを是非ご賞味ください。 霧島食品工業株式会社 〒885-0044宮崎県都城市安久町4742番地TEL:0986(39)0011 / FAX:0986(39)5473e-mail: kirisima@mnet.ne.jp
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旧 中郷村

中郷地区は都城市梅北町、安久町、豊満町です。旧中郷村は昭和42年、都城市と合併しました。 「都城市史 別編 民俗・文化財」(平成8年、都城市発行)より 梅北町 安久町 豊満町
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早馬神社

創立の由来は不詳。往古より早馬天神と称し、早馬大神(馬頭観音)を祀り、牛馬の神として農民より厚く崇敬されてきた。 「宮崎県史跡調査報告」によれば、延徳三年(1491)十一月「早馬天神御正体垂逑」とあり、また大永八年(1528)二月「早馬天神尊像奉造立」とあり、更に永正十六年(1519)九月、天神宮社造の記事が見えることから、延徳年間に勧請されていたとも考えられる。 明治二年早馬神社と改称した。
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池田貞記の碑

所在地 梅北町払川 都城島津家の医師池田貞記(1733~1802年)は、早くから都城茶の振興につとめた。宝暦の始め、宇治に行き栽培法、製茶法を学び、さらに創意を加えて甘露・紅梅・白梅等の都城銘茶をつくり出した。 宝暦七年(1757年)には、桃園天皇に献上して賞詞などを受けた。そのとき下賜された茶碗・土器は、歴史資料館に展示されている。 天保九年(1838年)幕府巡見使一行が都城通過のとき「江戸で都城茶というのが名物であるが知っているか………茶の値段は如何ほどか………」といった質問があったことが記録にある。 都城茶中興の祖ともいえる池田貞記は、享和二年(1802年)四月七日69歳で没し、墓は、都城の量海院墓地(東町都城税務署の地)にあったが、墓地整理に際し現在地(梅北町)に移されている。 近年、製茶関係者によって「都城茶の恩人」として報徳碑が神柱神社境内に建てられた。 →都城市公式HP 掲載ページ
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高寿覚供養塔

所在地 豊満町池平池 深見一覧は、慶長七年(1602年)都城安久正応寺門前の鎌田新右衛門の次男として生まれ、少年期に中国人の医師高寿覚の養子となった。 まもなく中国へ渡り、見聞を広めて十数年のちに帰国、藩主島津氏の医者・唐通事(とうつうじ)(通訳)として仕えていたが、寛永十九年(1644年)に長崎奉行所の唐通事となった。 長崎での一覧は、中国の高僧隠元(いんげん)をはじめ多くの中国僧の招へいに尽力した。また、長崎市内の中島川に石橋を架け、そのうちの一つは一覧橋と名付けられ有名である。 一覧の子玄岱(げんたい)は、幕府の学者として名声があり、朝鮮国王からの通信使一行の接待などに活躍した。また、詩や書にも秀で、浅草寺(東京浅草)には「施無為」の大額が現存している。 高寿覚供養塔は、深見一覧が中国より帰国した翌年の寛永七年(1630年)に養父母の供養のために建立したものである。
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西生寺跡

所在地 梅北町  西生寺は、一説には平重盛が霧島山の東佐野(高原町狭野)に建立したといわれている。その後、尋誉上人(じんよしょうにん)のとき、夢で「三日以内に山に火が起こり寺院も焼けるであろうから、三里以外の地に退け」とのお告げを受け、上人は本尊と鎮守山王社を奉じて梅北のこの地に寺を再建した。 時は仁安二年(1167年)と伝えられる。 本尊の阿弥陀如来(あみだにょらい)像は信州善光寺にあったものといわれ、永仁二年(1295年)の勅額(ちょくがく)を掲げた堂宇は荘厳華麗であったという。 いつの頃か、裏山が崩れ建物や宝物はことごとく埋没したといわれ、その後は、北方に再建され、藩主・領主が厚く信仰したが、明治初年の廃仏毀釈によって廃寺となった。 寺は初め天台宗であったが、後に真言宗に改められている。 寺跡には、当時の優れた数体の石仏をはじめ、多くの石塔類が集められ、保存されている。
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黒尾神社

在地 梅北町 現在の社地は旧神柱宮の跡である。明治六年(1873年)神柱宮が小松原町に移されたとき、ここから1キロメートル南の台地から黒尾神社をうつした。 はじめは愛宕社といい、永和三年(1377年)都之城が敵の大軍に囲まれ危なかったとき、志布志の大隅国守護島津氏久が助けにきて、この社に戦勝を祈願して勝利したので、立派な社を寄進し、黒尾権現と改め、本地仏として勝軍地蔵・愛染明王をまつった。 明治時代になって、祭神を「いざなみの命」ほかとして黒尾神社と改めた。
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安久節

伝承地 安久町 市内安久町に歌い継がれる三ん下がり調の三味線唄。由来は、慶長14年(1600年)3月、島津氏の琉球出兵に加わった安久郷士たちが士気高揚のため歌いつづけたものと伝えられ、都城を代表する民謡で、鹿児島おはら節の元唄ともいわれている。 歌詞は、「安久武士(やっさぶし)なら しる(尻) たこ(高く) つぶれ 前は むた田で ふこ(深く) ござる…」などいろいろ歌われている。 その曲調は洗練され歯切れよく、広く市民に親しまれている。また、南九州各地に分布する「ヤッサ節・ヤッサイ節・おはら節」も同系で、地方により田の草取り唄や門出唄とされ、都城地方では酒宴の際のお開き唄とされている。 正調安久節のほか、サンバアレンジバージョン等の派生品が作られ、年に一度の盆地まつりでも中央通り(国道10号線)にて一斉に踊られる、地元を代表する民謡でもある。 関連リンク:盆地まつり公式サイト
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梅北城跡

豊丸川に沿う丘陵の上にあって、飛永城、中城、上村城、新城の4丸からなる。平秀基によって築かれたといわれ、度々の合戦に城主はかわった。 →都城市公式HP 掲載ページ 昭和49年5月1日 市指定文化財所在地 梅北町梅北城跡図 千田壽博氏作成 梅北城は、都城盆地を囲む山地がわずかにとぎれ、南の志布志方面に通ずる開口部に位置し、都城攻防の要衝であった。 平安時代の万寿3年(1026年)、島津の御荘(みしょう)を開いた太宰大監(だざいだいげん)平季基の築城といわれているが確証はない。 城は梅北川にそう丘陵地にあって、四つの曲輪(くるわ)からなる連郭式山城である。 現在は、城の西南部が削り取られ中央部を残すのみであるが、その北側と東側には盛士による高土手が見られ、空堀もほぼ原形を止めている。 南北朝時代には、武家方の畠山直顕が居城したともいわれるが、その後は近隣諸氏の争奪の的となり、島津・新納・北郷・島津豊州(ほうしゅう)の各氏が入れかわり立ちかわり領主となった。伊集院氏をへて最後は北郷氏の領するところとなったが、元和元年(1615年)の一国一城令によって都城盆地の諸城とともに廃城となった。
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正応寺の大太鼓踊り

昭和50年3月20日 市指定無形文化財伝承地 安久町正応寺 毎年、8月7日地区の正応寺跡にある宥政上人の墓と、興玉神社に奉納する踊りである。由来は、宥政上人がそれまでの天台宗を改め真言宗とした際にはじまるという。また古記録によれば、「7月14日に花供踊有」と見え、古い歴史を思わせる。 踊りは、青壮年が主体となり、藺笠を冠りあごを水色の布で隠し、白上衣に白股引きを着け、紫の帯を締めた鉦2人と鼓1人、同じ扮装で腰に刀を帯びる中入組10人と、背に5本の弓旗を負う太鼓組12人で構成し、「琉球節」「浜節」などの小唄をうたい、鉦・鼓・中入組を内輪に太鼓組が外輪となり、8種目の演目を踊る。この大太鼓踊りは、七夕踊り・盆踊りである。 →都城市公式HP 掲載ページ 正応寺の大太鼓踊の詳細 鳥集忠男・片山謙二共著「都城の民俗芸能」(都城市 昭和56年)より ■ところ都城市安久町正應寺地区 ■ときと場所8月7日正應寺宥政(ゆうせい)上人墓と、興正神社に奉納 ■(1)慶長13年(1608)北郷周防守(すおうのかみ)常久の二男、文鐘坊宥政上人が、医王山知足院正應寺(聖應寺とも書く)の住職となり、それまでの天台宗を改め、真言宗となし、毎月3昼夜にわたり、法事が行われたとき、この大太鼓踊も創められたとの由来を伝え、また、上人の徳を慕うあまり、女人禁制の寺へ男装をなし、一夜の宿を請うた「とんどろ」が、女人とわかり、上人の法力によって、沖天高く舞い上らせられるとき、名残り惜しさに、上人に大太鼓を献じたことによる、などともいっている。 奉納の日は、古くは旧7月7日から7日間が、「正日(しょうにち)」であったと語っている。 都城地方では、7日すなわち七夕の日に、「御嶽様」(霧島山)や、正應寺に近い「金御嶽」(かねみだけ)に「こもる」死者が、娑婆(しゃば)の我が家へ帰りはじめるといい、14日朝寅の刻(午前4時頃)帰るという「七夕盆」に当っている。 宥政上人の偉大な徳を偲び、また鎮魂することにより、災いなからんことを願い、さらに一方では、上人への思慕も果たされず、昇天させられたとんどろの御霊が、田に害するサバイ(稲虫)と化すことなく、地域や人に仇するなかれと、鎮霊慰送すること、併せて祖霊を慰撫する、都城地方の古い盆踊りと考えられる。 庄内地理志巻六十二の正應寺の項に、「正月八日修正(しゅうじょう)七月十二日朝より結願(けちがん)十三日朝まで翌十四日花供踊有」とある。修正とは、古く奈良時代に始められた正月に行われる密教の加持祈祷で、天下泰平・万民安穏を願い、災害危難を避けるために行われたものである。 正應寺の伽藍(がらん)盛んなりし頃は、毎年旧7月14日一番薬師堂・二番三王堂・三番本堂の順で大太鼓踊花供養を奉納するもので、明治の初めまで続けられていたようである。 諸県(もろかた)地方における大太鼓踊の歴史は古く、天正の頃(1573-1591)も盛んであったとある。(上井覚兼日記)その由来にいう、宥政上人によって、天台宗を改め、真言宗としたおり創始された、とあるが、実は既にその以前から伝承されていたと思われる。 それは、扮装・踊の陣型・態様・奏楽を見るとき、念仏踊の色彩が濃厚で、特に、「中入組」の構成、踊りの型など、その古さを示している。 ■(2)踊り手は昔から安久・梅北・豊満など、9ヶ村の男子で身分を問わず、また二才(にせ)(青年)と限らず壮年も参加したという。  現在は、正應寺地区の壮年が主となって構成している。 ■(3)昔から踊り手の人数に制限はなく、その数によって鉦(かね)の数を塩梅(あんばい)していた。 現在は、太鼓12名・本鉦(ほんがね)1名・入鉦(いりがね)1名・鼓1名と、 中入り8名~10名からなる。 ■(4)扮装はいづれも、白の上衣と白もも引き、白脚絆に白足袋わらじ履きで、上衣は広袖の短い着物である。 太鼓組は、白鉢巻を後で短く締め、水色の手甲をはめ、同じく白色の帯をなし、腹に締太鼓をかかえ、昔は山鳥の保呂(ほろ)(羽根)1本を差したという、高さ245センチの竹を横に5本並べて立て、人々の寄進になる模様布を幟とした矢旗を背負う。 矢旗の先には羽子笠と呼ぶ、黒色の丸いタンポを一様につける。 東諸県郡国富町八代の巣は神社に奉納される「バラ太鼓踊」では、前年の鉦打ち4名が、翌年は太鼓頭となり、矢旗の先を槍の穂先形にして黒布を巻く。北諸県郡高城町有水の「鉦踊」では、矢旗の花飾りを金銀に分けて、太鼓頭の資格を示す。このように、矢旗の飾りで、太鼓の資格をあらわす場合があるが、正應寺の場合はそれを見ない。 また、矢旗の下に小さな猿の縫いぐるみを下げている、その分布は大隅からえびの市におよぶ。正應寺の場合はオゴ(生女)が、二才へ贈るものであったという。 猿は三王の使いで、神聖視された動物である。山神と祖霊が結びついた信仰のあらわれであると思われる。 矢旗の下に「しりすけ」という、兎の毛皮か白布を下げる。しりすけは山伏が身に着ける座臥具のひとつで、正しくは「ひっしき」(引敷き・曳敷き)という。それは、修行者が獅子に乗ることをたとえたもので、真理を知らず、無知であることを消除するために着ける、とされている。 鉦組と鼓持ち、および楽器を持たない中入り組は、飾りのない藺笠(いがさ)をかぶり、水色布野の「あごかくし」で顔をつつむ。あごかくしは、南九州各地の風流系芸能によく使われ、「お高祖頭巾」「冠目」(かんもく)などともいい、北諸県郡三股町の「馬踊」、高崎町前田地区の「地頭踊」のほか、酒席でする即興の踊りに、手拭いや布をかぶることも同じで、招霊とともに、自らが神と化した姿である。 鉦・鼓・中入り組の着衣は、太鼓と同じ白衣であるが、鉦と鼓は赤帯、中入り組は紫色帯を、身体の右前で長く垂らして結び、腰に「巾着」(きんちゃく-布、革、などで作った小物入れ)を下げ、刀を佩(お)びる。現在は脇差に似た小刀であるが、かつては、2尺3寸(69センチ)の定寸を用いたという。 ■(5)演目は 出端打切り打入りづえ三つべ本踊づえむくろ引庭 の順で踊る。 ■(6)踊りは、幟を先頭に、鉦鼓につづいて中入り組が横並びに2名、次に3名と、順次人数により扇形になって、庭入りをなし、太鼓は、中入り組を中心にて円陣をつくる。 先ず、打切りは、鼓・本鉦・入鉦 の順で右に並び、打切り太鼓に向って、鼓・本鉦が進み、右下から目の前にすくうようにして打つ。入鉦は中入りの後に止って、太鼓とともに静止して待つ。 打切りは、始めゆっくりと強く打ち、次第に早く鳴らして踊りの合図をする。打切り太鼓の1人は、これに合わせて右手で太鼓を打つ。鉦鼓と太鼓がすむと、太鼓組は矢旗が地面に着くほどの礼をなす。「招霊」の意味であろう。 その後、中入り組を中心にし、鉦鼓が続く。中入り組は互いに手をつなぎ、足踏みを揃えて横に、「8」の字形に廻ることを繰返す。入鉦は常に中入り組の後尾から離れない。 太鼓の足取りは、「鋸歯型」を踏みながら右に廻り、小歌のとき、横「8」の字を足八歩で踏み、旋回の際跳躍をなす。 ■(7)大淀川流域の踊り型の特徴は、鉦を中心とし太鼓が外輪となり、常に鉦と太鼓が「逆廻り」をするものが多く、(一部えびの市にも見る)「びな巻き」「蛇行」などの変化を見ない。 しかし、正應寺の場合は、鉦鼓・中入り組が一体となって、横「8」の字を繰返して珍しく、奏楽は鉦が主となる点、南九州各地の大太鼓踊りと同じである。また、太鼓の「振り」即ち打ち方は、今屋大太鼓踊りにも見るように、太鼓に向って半円をかきながら、上から下に撫でるように打つものとしている。 いまひとつ、諸県地方の大太鼓踊りの中で、鼓を使うことも珍しい。それは一般に見る鼓ではなく胴の部分は孟宗竹で、鼓の原型とも考えられて興味深い。 後白河院(1127-1192)の撰になる「梁塵祕抄」(りょうじんひしょう)に、 金の御嶽にある巫女(みこ)の、打つ鼓、打ち上げ打ち下ろしおもしろや われも参らばや ていとんとうとも響き鳴れ 響き鳴れ 打つ鼓 いかに打てばか この音の絶えざるらむ (金峰山にいる巫女が、打つ鼓よ、打ち上げ打ち下ろして面白いことだ、われらも参詣したいものだ。テイトントウ とも響き鳴れ、響き鳴れ、打つ鼓よ、どんなふうに打てば このように音が絶えないで響くのだろうか。) 踊りの由来のひとつに、宥政治上人の法力によって、沖天高く舞い上るとき、とんどろが太鼓を献じたというのは、巫女山伏が呪具とした鼓のことではなかろうか。 「テイトントウ」は鼓の擬声語であり、「とんどろ」である。つまり、この踊りの中における鼓は、雷神・鳴神(なるかみ)信仰が、宥政上人と結びついたことを示すものとも考えられる。 かつて、とんどろは正應寺地区だけが踊るもので、他の地区は踊ることを許されなかったという。この踊りがきわめて古く、しかも深い信仰の所産であることがわかる。 ■(8)踊り唄は、 とんどろとなるかみは ひとたびにやおつるに いやならいやとはじめにおしゃらで 今更なにとはなるかを さつきぐるま さてわれは人にはなれても すてられんとは思えども 空身の上になれば更に思いきられん願わくば 富士に積む雪は ひと年にゃとくるに けんじゅう織女 ひと年にゃめぐりあう と、とんどろが、宥政上人に献じたと伝える古い型の小唄や、隆達小歌集(1593)の 花が見たくば吉野におじゃれ 今は吉野の花ざかり 吉野山道尋ねて通る 桃と桜が散りかかる えんに腰かけ空星眺め さまを待つよな夜の長さ ひがん桜を折りくばらせて 人はよろこぶわしゃうれし おごがたもとに花折り込んで またと逢うとは花のえん などと、低く念仏唄のように謡い 琉球におじゃるときゃ わらじはいておじゃれ 琉球は石原小石原 と「琉球節(じきゅうぶし)」や 七島八島金のたまるは中の島 島はききんでおさおがいるよ さげてたもれよお奉行様よ の「島節」など、古い歌調でうたわれている。 ■(9)『三国名勝図会』の正應寺の記事には、伝教大師が唐に渡り、彼地で赤栴檀(あかせんだん)の霊木で、三体の薬師如来を彫刻し、一体比叡山延暦寺へ、一体は越前国営山寺の本尊、一体がすなわち正應寺の本尊であるとし、創建は古く藤原時代と伝え、図会は二王門をはじめ本堂、客殿方丈など、広大に記されて、真言の霊場であったとあるが、今はもうそれを偲ぶよすがはないにしても、この踊りこそ、無形の大きな遺産と言える素晴らしいものであって、南九州に多い風流(ふりゅう)系の大太鼓踊りの中では珍しく、六根清浄(ろっこんしょうじょう)の祈りを感じさせる。 ■参考文献 御当家本支流畧系図(都城島津家所蔵) 庄内地理志三国名勝図会 中世近世歌謡集 日本古典文学大系岩波書店 ■話者吉田芳国、米丸 林 ■付記 1. 永井綾氏所蔵の鉦本鉦(直径20センチ)入鉦(直径17センチ)いずれも、1833年、天保四年己八月吉日とあり。2. 矢旗は、1856年、安政三丙辰天(ひのえたつどし)七月吉祥日 上様御進納 三つの内なるものがあり。都城領主からの奉納と思われるものや、安政五戊午(つちのえうま)七月吉祥日に、小林町の上田氏が七本寄進したものの、いくつかが残されている。 鳥集忠男・片山謙二共著「都城の民俗芸能」(都城市 昭和56年)より
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医王山知足院 正応寺跡

仁安元年(1166年)の創建で本尊は薬師如来像・幾多の興廃をくりかえしながら明治元年(1868年)の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で廃寺になるまで営まれた大寺院。現在石塔と中興開山宥政(ゆうせい)上人の墓碑がのこっている。 所在地 安久町正応寺正応寺は、仁安元年(1166年)天台宗の僧禅慶上人と弁済使であった永井氏によって建立されたといわれている。当初は、島津荘の本家近衛氏ゆかりの寺として十二の坊を従えた広大な寺院であった。その後、慶長13年(1608年)に領主北郷忠能が千石を寄進して、北郷一族の宥政上人を住持にして再興した。廃仏毀釈によって廃寺となったが、薬師堂跡一帯の山中には、堂の土壇・礎石が完全に残り、中世の石塔類が数多く埋没散乱している。また、本堂・客殿・方丈・鐘楼などの跡地も残り、往時の壮大さがしのばれる。住持墓石のうち宥政上人の石塔は、高さ3メートルをこす巨大五輪塔で、そのほか中世末期の優美な仏像を刻む供養塔などもある。 →都城市公式HP 掲載ページ
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尾平野洞窟

石器時代の住居跡、洞窟は溶岩からできた自然の洞窟で、縄文式土器と獣骨などが発見された。昭和32年、県文化財に指定された。 昭和32年12月15日 県指定文化財所在地 安久町下尾平野尾平野洞窟は 塚山地南部に位置し、安楽川上流左岸の崖状の山腹に北を向いて開口した自然の洞窟である。地質は弱溶結凝灰岩からなっている。一体は、平坦地の少ない険しい地形であるが、洞窟の中から発見された遺物は縄文時代の生活の跡を物語っている。 洞窟が発見されたのは昭和11年のことであり、同年、熊本県の考古学者である小林久雄氏らが調査を行っている。出土遺物には縄文時代後期から晩期にかけての煮炊きに使われた土器、動物の骨を削って造られた骨針などのほか、当時の人々の食べ残しである動物骨や貝殻があり、これらの資料はこの地方の縄文人の食生活を復元する上でも貴重である。出土動物骨には、イノシシ・シカ・カモシカ・ノウサギ・ニホンザルなどがあり、イノシシの占める割合が最も多い。
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興玉神社

内神殿(厨子)が昭和58年6月、国の重要文化財に指定された。これは、応永6年(1399年)の製作で現在南九州最古の建造物とされている。 興玉神社内神殿 昭和58年6月2日 国指定重要文化財所在地 安久町 正応寺所有者 興玉神社 内神殿は、現在地より1キロメートル東方にあった正応寺薬師堂の厨子(ずし)と伝えられ、明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)のとき、住民の機転で神社の内神殿として転用保存されてきた。内神殿は、創建時の棟 木(歴史資料館展示)が残っており、棟木には、 奉造立 薬師如来御圖師壹宇 應永六年 己 十月七日                   卯大檀那 豊前守源為和         西方殿                大工藤原国家謹作大勧進 遍照金剛増海 と墨書されており、宮崎県最古の建造物である。その様式は、禅宗様(唐様)といい、禅宗とともに寺院建築の新様式として、中国大陸から鎌倉時代に伝来し、日本全土に広まっている。同社は、明治以前は「久玉(くだま)大明神」と称していたが、明治初年に、祭神を猿田彦命ほか二柱とし、旧「外山権現社」地に移し、興玉神社と改めた。 →都城市公式HP 掲載ページ 経筒およびその容器 昭和49年5月1日 市指定文化財所在地 梅北町所有地 山田家 経筒は、平安時代のものとされ、銅製の9層塔形のつまみをもつ笠蓋に、円筒形平底の筒身からなっている。経筒を納めて保護する容器は、軽石製で、高さ60センチメートル、径34センチメートルの円筒形で、中央部に経筒を入れるための径13センチメートル、深さ40センチメートルの穴があり、その底部に直径5センチメートルの水抜き穴を穿っている。 経筒の由来は、先祖の供養と一家の幸せなどを願って経文を書き、筒(経筒)におさめ、塚(経塚)に埋める習わしが平安時代中期頃から始まっている。この経筒は、昭和34年(1959年)、梅北町益貫の畑から出土したものである。 →都城市公式HP 掲載ページ 王面(一対) 昭和49年5月1日 市指定文化財所在地 歴史資料館所有者 興玉神社 王面は、阿吽(あうん)一対の神面で、木地は楠材で目・鼻に穴がなく、裏面に次の墨書銘がある。 「王面 若宮 大明神御宝前 本願主 源慶綱 作者 清原維家 天文十年五月二十六日」 銘文により、この王面は足利幕府に反逆し、のち櫛間(串間市)で殺された足利義昭・僧源澄の百年忌に、源澄の一族と伝えられる鬼束慶綱が二人を祭る「若宮大明神」へ奉納したもので、これは明治初年になって興玉神社へ合祀されたという。 なお、都城市内の神社には、約40余りの奉納面が残されている。いずれも素朴な作りで眼孔がなく、通常の面ではない。そのほとんどが阿吽一対面であり、魔除け・幸福・満願などの祈願用として奉納した特殊な面である。
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ドライブコース

金御岳登山道 金御岳公園まで約1.7km、車で登れます。公園内にある展望台からは、霧島連峰や都城が一望でき、また 夜景もすばらしいです。 鳶ヶ岡林道 昭和52年開通、全線舗装。随所で霧島連山・金御岳・都城盆地などを展望できる約10kmのルート。「雲海の里」中郷を実感できます。 天ヶ峰林道 鹿児島県末吉町・川原谷方面から金御岳公園まで4.5km。
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安久温泉

桜の名所、ハイキング・キャンプの適地、安久温泉郷は昔から皮膚病や創傷に薬効があるといわれ湯治客が多い。 養浩館 TEL:0986-39-07088:00~22:00 水曜定休
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ハンググライダー

金御岳は、スカイスポーツの花形のハンググライダーのフライト基地として絶好の環境をもっています。秋の紅葉 の季節から春の桜の季節の間、霧島連山からの吹き下ろしが金御岳の山間を上昇気流となって吹き上げます。この風がハング野郎の冒険心を仰ぎ、鳥人となって大空へ舞い上がります。 毎年秋には山頂で、ハンググライダー大会が 開催されています。ハンググライダーはエンジンを使わずに気流に乗って100km以上の距離を飛ぶことができる人工の翼です。鳥のように空を飛びたいという人に、これほどぴったりのスカイスポーツはないでしょう。上昇気流を翼にとらえ、大空を飛ぶ気分は文字どおり『爽快』の一言。この爽快感に魅せられた愛好家は多く、全国でも数多くのグループもあり、各地で競技会が開催されています。金御岳フライトデータ詳細 関連リンク:(社)日本ハンググライディング連盟(JHF) 金御岳ハンググライダー大会 フライトに好条件なのは風や高度だけではありません。金御岳の山麓の緩やかな着地点やそれを暖かく見守る中 郷の人々の気風も絶好の環境づくりに一役かっています。 大会の様子 ■都城ハンググライダークラブ  武永 哲雄氏  都城市下川東4-23-6  電話0986-22-2296(自宅)・25-2220(会社)
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サシバの館

金御岳公園 サシバの館 都城を一望できる金御岳の頂上に建つ木造二階建ての休憩所。 サシバは中型の鷹で、春に日本にやってきて、秋に南へ戻る渡り鳥です。金御岳は、秋の渡りを観察する絶好のポイントとなっています。ピークは、10月10日~15日で、3万羽を数えたこともあります。 関連リンク:財団法人 日本野鳥の会 サシバの群れ
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金御岳

読み:かねみだけ / KANEMIDAKE 中郷地域の南部、鹿児島との県境に位置する山。霧島山をバックに都城市一帯を一望できる絶景ポイントでもあります。 サシバを始めとする野鳥のバードウォッチングを通年で楽しめる他、頂上にはハンググライダー発進場があり、年に一度は全国各地から選手が集まる大会も開かれています。 金御岳公園の四季 春 元旦には初日の出を見ようと、毎年500名~1000名の参拝者が山頂を訪れます。3月末から4月にかけてはソメイヨシノ・オオシマヤエ、ヤマ桜と桜の山となります。 夏 盆地特有の暑い夏は、夜景と涼を求める人達でにぎわいます。 秋 秋から冬の季節にみられる金御岳からの雲海は神秘的です。 冬 冬は深い霧が作り出す自然景観が素晴らしい。雲海の上にくっきりと浮かぶ霧島の霊峰、そして天孫降臨の地として語り継がれる高千穂の峰の雄姿は、神代そのままを現代に伝え、人々から敬われています。 金御岳周辺の鳥 留鳥…同じ地域に一年中生息して、季節的な移動をしない鳥。カケス、シジュウカラ、ヤマガラ、エナガヒヨドリ、コシジロヤマドリ、コゲラ、ホオジロ 夏鳥…繁殖するためにやってくる鳥。春に渡来し夏を過ごし、秋には南へ帰って越冬する。アカショウビン、サシバ 冬鳥…越冬するためにやってくる鳥。秋に渡来し冬を過ごし、春には北へ戻り繁殖する。 ジョウビタキ サシバの群れ
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柿酢&黒酢らっきょドレッシング

中郷商工会 青年部 オリジナル商品 中郷地域の特産品である”らっきょう”を食材としてオリジナルドレッシングを開発・販売することで地域住民に対して地元の特産品を再認識していただくと共に、地域経済社会の活性化を図ることを目的として開発いたしました。 宮崎県都城市は、土地が火山灰土で水はけがよく、”らっきょう”栽培にはぴったりの土壌です。 そんな土地柄を背景に、特に中郷地域では”らっきょう”が古くから生産されており、旬を告げる野菜として親しまれています。 柿は、中郷地域の昔ながらの秋の風物詩です。 「やっさごんだ(安久の柿)の見える風景」の復元を目指して活動する「NPO法人 正応寺ごんだの会」と協力し、「柿酢」の原料となる柿の収穫にも、青年部が携わっています。 これらの食材を地元のシェフが監修のもと、イタリアンドレッシングをベースに特産品のらっきょうを加え、ビネガーの代わりにごんだ柿で作った柿酢を加えた風味豊かな柿酢ドレッシングと、黒酢を使ってさっぱりと調えた黒酢ドレッシングの2種類をラインナップいたしました。 ぜひ、ご賞味くださいませ。 お中元・お歳暮などにも! お中元・お歳暮など、季節のご挨拶やご贈答品として2本セットのギフトボックスもご用意! 黒を基調とした高級感のある見た目となっております。 販売店情報 都城市内 宮崎県内 通信販売 ■都城市内 中郷商工会 道の駅都城 霧の蔵ブルワリー restyle(リスタイル) ■宮崎県内 道の駅 北川はゆま Bon delice (ボンデリス) ■通信販売 販売取扱店 募集中! ドレッシングを店頭販売していただけるお店を随時募集しております!詳しくは当商工会までお問い合わせ下さい!
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